小学3年生の私へ・・・

真冬の さなかの家事手伝いで 小さな手は あかぎれで 血が にじみ いつも

ポケットにオロナインを忍ばせていた。

「大変だね よく頑張っているね。えらいね。」と手をさすって くれる人は誰

一人も いなくて。

今 過去の私に 今の私が言ってあげる。

「大変だね。よく頑張っているね、」って。

 

私が5才10か月の時 弟が産まれた。帝王切開で。輸血したらB型肝炎に なった母。

毎日 寝たり起きたりで お医者が往診に来て 注射をして行った。

 

私は (お母さんが死んじゃったら どうしよう?!)と10年間心配した。

だから 一生懸命 祖母を手伝った。あと弟の子守りも。

 

祖母は忙しいので私に当たり散らした。

慣れない お米を研いで 水を流す時 お米が10粒ほど こぼれた。

祖母は 「この!ばちったかり!」と怒鳴った。

私は震えあがり 家を飛び出し 隣の神社まで走った。

行く所も 頼る人もいないので 心が落ち着いたら 家に戻った。

 

今にして思えば そこの神社の神様に守られていたのかも 知れない。

祖母の行く所 どこでも付いて回った。

 

春には田んぼのセリ取り 夏には用水路のドジョウ取り。(網を使った追い込み漁)

家の井戸端で 何週間か 泥を吐かせて水を替えるのは私の仕事。

その料理も私の仕事。ドジョウを鍋に入れフタを持ってかまえる。

そして塩を入れすぐフタをする。ドジョウは暴れるが しばらくすると お陀仏になる。ゴボウなどと煮て 卵でとじる。それを小学2年生ごろ やっていた。

秋には イナゴ取り。布袋に入れ水で 溺れさせ 焼いて食べる。

 

美味しかった。

 

隣の お寺で お葬式があると聞くと祖母が 「10円玉 拾いに 行くんべ」と誘う。

お寺の庭をグルグル回る お葬式は カゴの中に 10円玉が たくさん入っていて

それを振り回すと 10円玉が落ち それを参列者が拾う 仕組み。

何度も行かされた。

このあたりでは お葬式のことを 「ジャンボン」と言っていた。

お葬式の時 住職さんが ジャンボンと鳴る楽器 シンバルみたいなものを使うからだ。

祖母は 卑しい人で お墓参り(お彼岸 お盆)の時 よその家の お団子まで

下げてきて 家に持ち帰り おしょうゆ砂糖ダンゴにした。

 

 私は 恐ろしい祖母には 逆らえなかった。

ただ 祖母は生き物を育てる名人で 元気のない金魚に塩を塗り復活させたり

した。

ある日 「チャボっ鳥を飼うか?」と小学3年の私に聞く。

動物好きな私は すごくうれしかった。

チャボは普通の鶏とり 少し小ぶりな鳥で 卵が超 美味しかった。

まだ暖かい卵で 卵ごはんを食べた。

おばあちゃん ありがとう。