羽生弓弦くんがプロになる ということで・・・

TVで特集をやっていました。

あの「晴明」の演技 と衣装にくぎつけでした。

弓弦くんが 映画「陰陽師」の主演をされた野村萬斎さんに

教えを乞うシーンも印象的で・・・。

ついでに また 「陰陽師」の映画を観たくなり

DVDを借りに行ったら 2のほうしかなくて

1は お取り寄せの連絡待ちとなりました。

よその支店から借りるのを借りられるみたいで・・・。

 真田ひろゆきさんとの対決が楽しみです。

なんか疲れました・・・

いつもは家にいない主人が一日中家にいると気疲れします。

つまんないことで 切れるんだもの。

そして 口を聞いて

くれないんだもの。 

今日も 私の実家に年始に行ったけど 早く帰りたがる主人。

帰りに神社に寄ったら お賽銭を入れるために並んでいる列が進まず

それを見ていた主人。

 私は その間 トイレに入ってたのを待っていた主人。

それだけで イライラ。

 

 その帰り コンビニに寄って!と言っただけでイライラ。

コンビニのとなりで キッチンカーが出ていたので寄って

話込んでいると またイライラ。

 

 も~~やだ~!

新しい接骨院・・・

前に通っていた接骨院は 帰る時は 死にたくなった。

あんたが チカラを抜かないから治療が上手くいかない・・・と

毎回 言われて・・・。

しかも 首をボキボキッとやられ 腰も 蹴とばされる治療。

それに輪をかけて 助手の 奥さんは私に冷たくて

質問をすると怒ったように答える。

まさに地獄だった。

 

 去年の12月 次女の紹介で 新しい接骨院に行ってみると

そこは極楽のような雰囲気だった。

先生とスタッフの人数も多くて 心に余裕があるのだ。

ベッド数は 10個くらい。

 

 入って すぐ 手洗いを入念にする。手の洗い方まで書いてある。

女の先生を選べる。私は 男の先生は声が大きくて苦手。

女の先生は ささやく様に しゃべる。

まるで天女様のようだ。

電気をかけるスタッフも とっても優しい声。

それだけで治って しまいそうだ。

 

そのうえ 保険は効かないが1回1000円のラジオ派という

最先端治療がある。10×20センチくらいの薄い金属の板を

素肌(お腹)に付ける 。そのまま 脚にジェルを塗り電気を流しながら

お尻を押す。

これが体温を上げてくれる。

免疫に良いそうだ。

 

小学3年生の私へ・・・

真冬の さなかの家事手伝いで 小さな手は あかぎれで 血が にじみ いつも

ポケットにオロナインを忍ばせていた。

「大変だね よく頑張っているね。えらいね。」と手をさすって くれる人は誰

一人も いなくて。

今 過去の私に 今の私が言ってあげる。

「大変だね。よく頑張っているね、」って。

 

私が5才10か月の時 弟が産まれた。帝王切開で。輸血したらB型肝炎に なった母。

毎日 寝たり起きたりで お医者が往診に来て 注射をして行った。

 

私は (お母さんが死んじゃったら どうしよう?!)と10年間心配した。

だから 一生懸命 祖母を手伝った。あと弟の子守りも。

 

祖母は忙しいので私に当たり散らした。

慣れない お米を研いで 水を流す時 お米が10粒ほど こぼれた。

祖母は 「この!ばちったかり!」と怒鳴った。

私は震えあがり 家を飛び出し 隣の神社まで走った。

行く所も 頼る人もいないので 心が落ち着いたら 家に戻った。

 

今にして思えば そこの神社の神様に守られていたのかも 知れない。

祖母の行く所 どこでも付いて回った。

 

春には田んぼのセリ取り 夏には用水路のドジョウ取り。(網を使った追い込み漁)

家の井戸端で 何週間か 泥を吐かせて水を替えるのは私の仕事。

その料理も私の仕事。ドジョウを鍋に入れフタを持ってかまえる。

そして塩を入れすぐフタをする。ドジョウは暴れるが しばらくすると お陀仏になる。ゴボウなどと煮て 卵でとじる。それを小学2年生ごろ やっていた。

秋には イナゴ取り。布袋に入れ水で 溺れさせ 焼いて食べる。

 

美味しかった。

 

隣の お寺で お葬式があると聞くと祖母が 「10円玉 拾いに 行くんべ」と誘う。

お寺の庭をグルグル回る お葬式は カゴの中に 10円玉が たくさん入っていて

それを振り回すと 10円玉が落ち それを参列者が拾う 仕組み。

何度も行かされた。

このあたりでは お葬式のことを 「ジャンボン」と言っていた。

お葬式の時 住職さんが ジャンボンと鳴る楽器 シンバルみたいなものを使うからだ。

祖母は 卑しい人で お墓参り(お彼岸 お盆)の時 よその家の お団子まで

下げてきて 家に持ち帰り おしょうゆ砂糖ダンゴにした。

 

 私は 恐ろしい祖母には 逆らえなかった。

ただ 祖母は生き物を育てる名人で 元気のない金魚に塩を塗り復活させたり

した。

ある日 「チャボっ鳥を飼うか?」と小学3年の私に聞く。

動物好きな私は すごくうれしかった。

チャボは普通の鶏とり 少し小ぶりな鳥で 卵が超 美味しかった。

まだ暖かい卵で 卵ごはんを食べた。

おばあちゃん ありがとう。

寅年といえば思い出す・・・

中二の冬休み。東京の荻窪の画廊で行われた 「手塚治虫 原画展」を母と友人一人とで見に行ったこと。

カラー作品 40×30センチほどの10点くらいが目を引いた。

手塚さんの色彩は独特で 薄めの色彩が好きだった。

特に目を引いたのが 「奇子」。なんて読むのか 後で分かった。

あやこ と読む。

洞穴で一人美しい女性がたたずんでいる絵。

 

100キャラの大きな1枚画も すごくて 全部 名前を言い当てられたら

プレゼントしてくれるという代物。

 

そのうち 手塚さんが来るとの情報。

皆 50人くらいは ダルマ ストーブを囲んで ひたすら待った。

あのかたに握手していただけたら 絵が上手くなるぞ! などと言いながら。

しかし 先生は お忙しく到着が遅れるとのこと。

群馬県の田舎から来ていた私たちは 帰りの電車のため 泣く泣く

帰らざるを得なかった。

 

そののちファンレターを書いて 荻窪の原画展に行ったことも書いた。

すると 虫プロダクションから翌年の年賀はがきが届いた。

それは 「トラの尾を踏む男たち」と書いてあり

主なキャラ10人ほどが (アトム ブラック・ジャック レオなど) 大きなトラの尾を踏もうとしている漫画だった。

トラの尾を踏む とは あえて危険なことをする意味だ。

そして スタッフの方が 荻窪展にいらしてくださって ありがとう。

お母さまの ご理解があったのですね。という一筆に感動!

 

それが寅年の思い出なのだ。

 

50念ぶりの再会・・・

先日 偶然にも私の母の いとこ に50年ぶりに再会した。

私の子供のころ(10才くらい)の記憶だと その女性は 素敵な お姉さんで

私の実家に時々 遊びに来た。その時の洋服は私に考えられない

薄いヒラヒラのワンピースだった。

私の祖母などは 驚いて 「そんなに薄着で大丈夫なんかい」と心配していた。

 

先日 聞くと私より14才年上だった。

弟さんが園芸の仕事をしていて たまたま 私がクリスマスローズを見たくて

寄ったのだった。

彼女は お正月用の鉢物を買いにきていた。

私も そのすばらしさに つい買ってしまった。

福寿草と笹と赤い実の ヤブコウジの寄せ植え。

 

本当に神様の お引き合わせとしか思えない。

追悼・・・さやかちゃん・・・

私 大好きだったんです。声の顔も。そして聖子ちゃんも。

あの聖子ちゃんが今 悲しみの底にいると思うとたまらない。

私も 昔 父が自殺して大変でした。それと自分自身も自殺未遂したことがあるから

気持ちがわかるの。もう にっちもさっちも いかなくて 追い詰められてしまうのね。

昔 「アナと雪の女王」がヒットした時 思ったの。

聖子ちゃんと神田さんは なんて素敵な声のお嬢さんの遺伝子を残してくれたのだろうか!と。

あの奔放で明るいアナを演じた さやかちゃん。

私はエルサよりアナのほうが好きだった。

しかし それにすても6男の王子が悪い奴だったとは!

ディズニーにしては珍しい展開!

さやかちゃんの歌は永遠に残る。

私はアナと雪の女王の2枚組CDをもっていて それって なかなか良いです。

1枚は日本語版。もう1枚は英語版です。

歌詞カードをみながらなら英語版 半分くらい聞き取れます。

英語のリスニングの練習に・・・。

 

先日 追悼で 部屋で日本語版を流しました。

ご冥福をお祈りします。